2018年 07月 16日
恍惚
ありのままの姿。
飼い主さんからいただいた写真。
穏やかでどこか優しく
慈愛すら感じるこの表情。
驚くほどに美しい!
・・・魅せられた。
仔猪の事を想い出した。
死が直前だというのに
私を真っ直ぐにみつめ
目の奥が光っていて
何故か優しいものだった。
未だ わかっていないことにハッとさせられた。
ピリカのこの表情を見て、気が付いた・・・!!
あの時の仔猪とこのピリカは同じ。
喰われるもの、
喰うもの、
それは同等であるということ。
私があの時、仔猪の目に映る自分という人間を
許してくれているように想えた一瞬がある。
そう感じた理由が、今、わかったのだ。
その本質を教えてもらった。
「生」も「死」も 同じ循環を意味する。
そこに裁きは無い。
何故ならそれが自然だから。
美しく
生きるという事は死を受け入れる事でもあり
受け入れない事でもあり
なんだかよく分からんけれど、目は生と死をよく表していると思います
最後まで、死ぬまで生きている瞳
生きているうちに死んだような瞳になってしまう人と、自然の生き物の違いを
オレは神聖なもののように感じ、そして奪っている事を強く感じます
オレもそんな目をしているのだろうか・・・・・
そんな目をしたオレでありたいと思っちゃいます
「生」であった いのち が「死」へと
向わせてしまった私自身も
美しい目の主(仔猪)に全く同じ想いでした。
私の目はどうですか 濁っていませんか、って問いかけていました。
澄んだ目の主の前では、ただただ感じることだけで
それは例えようがないんですが・・・
とにかく熱いものが一気に溢れてくる感情でした。
きっとこれが心からの感謝、だと感じましたね。
これが無くなったら、もぅ猟師やないな、と
私は痛感しました。